第4回イブラグランドアワードジャパン2024
東京に生まれる。5歳からピアノに親しみ、10歳で家族と共にスペインへ移り住む。
1975年よりスペイン王立マドリード音楽院でホアキン・ソリアノ氏に師事。スペイン青少年音楽コンクール優勝。1982年に奨学金を受けてジュリアード音楽院に入学し、サーシャ・ゴロニツキー氏に師事。1985年から英国王立音楽院にてC・エルトン氏に師事。また、プライベートではアンジー・エステルハージー氏に師事。英国ニューポート国際音楽コンクールに入賞。故ダイアナ妃より授与される。1986年、同音楽院卒業後、最年少でRecital-Diplomaを授与され、帰国。
1991年、スペインの作曲家フェデリコ・モンポウ(1893〜1987)のピアノ曲全集の録音を完成(世界初)。1993年、モンポウの伝記「ひそやかな音楽」を翻訳。同年、英国王立音楽院よりめざましい演奏活動に功績のあった卒業生にのみ与えられる資格ARAMを贈られる。
1994年、プラハでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団とジルベスターコンサートで共演。1996年、スペインでのジャパン・ウィークでリサイタルを開く。1998年、プラハでリサイタルを開催、及びヨセフ・スーク&スーク室内オーケストラと共演。1995年〜2006年には毎年秋にローム・リリック・セレクションとして全国ツアーを重ね、好評を博した。2000年にはNHK教育テレビ「芸術劇場」の「BSクラシック ピックアップ」の司会を務めた。
2006年、ウィーン・フィルのメンバーと共演。2009年、“クラシック音楽をもっと身近に楽しんでもらう”というコンセプトに賛同し、「100万人のクラシック」コンサート・シリーズに参加。東京都内近郊18箇所、続いて長野県内6箇所にて「Shall We Dance?」ツアーを開催。2011年には、同コンセプトの「いこか!クラシック」シリーズ関西地方全16公演に出演し、各地で好評を博した。2010年1月には、エジプトにてカイロ・オペラ・オーケストラと共演、アレクサンドリア(エジプト)、アンマン(ヨルダン)ではリサイタルを開催。軽快なトークをまじえた独自のコンサートは特に人気が高く、その活躍は日本国内にとどまらない。
2012年には、ベネズエラ、カラカスで、ベネズエラ交響楽団と共演する。
エッセイ集はショパンより「薔薇よ、語って」「音よ、輝け」「ラ・ピアニスタ〜太陽の門から」、講談社からは「人生を幸福にしてくれるピアノの話」が発売されている。CDはキングレコードより多数リリース、2006年、モンポウの作品集「静かな音楽」、2009年にはダンスをテーマにした「Shall We Dance?」、2011年にはショパン・イヤーからリスト・イヤーへの懸け橋として“愛のメッセージ”をテーマにした「鳥の歌」を発売。2012年2月には、日本各地の民謡をピアノで奏でる「日本の心、日本のメロディー〜奥村一作品集」を日本コロムビア(DENON)よりリリース。2008年4月より大阪芸術大学(演奏学科)教授に就任。2013年9月には、アルゼンチン ブエノスアイレスでリサイタルを行う。また、エステバンモルガドカルテットと共演を果たす。近年は、世界的国際ピアノコンクールの審査員なども務める。テレビ・ラジオへの出演、執筆活動など多才な活動で幅広いファンを獲得している。
2016年はデビュー30周年を迎える。神奈川県のマグカル大使に任命される。
2017年7月キングレコードから、サティとギロックのCDがリリースされる。
大阪芸術大学教授。
☆第6回イブラ・グランド・プライツ(1997伊)ピアノ部門第1位及び総合グランプリ受賞。
福岡市生まれ。15歳で単身モスクワへ。クラースヌィ・ディプロマを授与されモスクワ音楽院を卒業後、ローム・ミュージック・ファンデーションより奨学金を得てモスクワ音楽院大学院修了。ネルセシアン、ヴォスクレセンスキーの両氏に師事。
17歳で第6回イブラ国際音楽コンクール(伊)ピアノ成人部門第1位及び総合グランプリ受賞。
カントゥ国際ピアノコンチェルトコンクール(伊)第1位・リスト特別賞、バラキレフ国際ピアノコンクール第2位(露)、イル・ド・フランス国際ピアノコンクール第3位(仏)ほか受賞多数。国立サンクトペテルブルグ カペラ交響楽団・サマーラ国立交響楽団・モスクワ音楽院交響楽団・九州交響楽団ほか、2017年都民芸術フェスティバル オーケストラ・シリーズにて東京フィルハーモニー交響楽団と協演。
2008年始動したプロジェクト「田中正也プロコフィエフピアノ曲全曲演奏シリーズ“エクスクールスィャ”」はモスクワでも高評を得て、2013年プロコフィエフの誕生日にプロコフィエフ博物館ホールでの没後60年メモリアルコンサートにも招聘されるなど、プロコフィエフのスペシャリストとして期待されている。
2010年 名古屋・宗次ホールで始めた“田中正也おしゃべりコンサート♪「魔法のピアノ」”は独創的な選曲・超人的な演奏・楽しいお話で人気となり全国に拡大中である。
2019年・2020年にはエルミタージュ劇場での演奏会ほか、ティマーキン記念国際ピアノコンクールの審査員を務める等、ロシアでの音楽活動も著しく飛躍し、5月沿海州立太平洋交響楽団とプロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番をウラジオストク・フィルハーモニーにて協演、9月モスクワ音楽院大ホールに於ける第21回国際音楽祭「日本の心」シリーズのオープニングコンサートに招聘される。2019年・2020年在ロシア日本大使公邸に招かれ演奏。2020年10月アクロス福岡シンフォニーホールにての舞台芸術体験事業で九州交響楽団と再協演。
レクチャーコンサート・マスタークラス・教育的講演会のほか、録音活動も精力的に行い2013年「田中正也 プレイズ リスト&ショパン」、2014年「The 展覧会の絵」、2017年「リラの花」(共にナミ・レコード)は音楽誌各誌で絶賛され、2015年「 鐘~ロシア~ピアノ・デュオの世界 田中正也&佐藤卓史」(ナミ・レコード)は、「レコード芸術」2016年2月号特選盤に選ばれる。2019年10月には「魔法のピアノ」(ナミ・レコード)をリリース。
日本・ロシア音楽家協会会員。日本演奏連盟会員。大阪芸術大学演奏学科講師。
東京芸術大学付属音楽高等学校を経て、同大学、同大学院を修了。在学中より邦人作品初演を盛んに行う。1978年、フランス パリ郊外のサン・ジェルマン・アン・レイ市におけるドビュッシー国際コンクール第一位を受賞後、ソロを中心にオーケストラとの共演、室内楽の演奏会も多く、バッハから現代作品まで幅広いレパートリーを持っている。一方、鮫島有美子、チェロの藤原真理などのCD製作に共演、演奏会では共演者としても深い信頼を得ている。教育活動も大学院卒業と同時に東京藝術大学講師となり、2013年3月まで勤め、現在も後進の指導にあたっている。門下からは国際コンクール入賞者を多数輩出している。近年では海外での活動も増え、パリ、トリノ、ソウルなどでリサイタルのほか、2006年より毎春、パリにてアンリ・バルダ氏、アンヌ・ケフェレック氏と共にマスタークラスを行って いる。CDは、ソロアルバム「バッハ頌」「細やかな記憶」「HARUHI HATA RECITAL」フォンテックがリリースされている。モスクワにおけるスクリャービン国際ピアノコンクール(モスクワ)、イル・ドゥ・フランス国際ピアノ コンクール(パリ)など国際コンクールの審査にもあたる。 井口秋子氏、安川加寿子氏、横井和子氏に師事。
1967年 愛媛県西条市に生まれる。
4歳よりバイオリンとピアノをはじめる。後に父の指導のもとに声楽へと転向する。国立音楽大学・国立音楽大学院にて中村健氏の指導を受けた後、4年間イタリアのパルマで、デリオ・ポレンギ氏に師事。帰国後、第9のソロや数々のコンサートに出演。
イタリア・トリノ出身。 トリノ音楽院を経てミラノ・スカラ座研究生として学ぶ。 G.ファーヴァレット、I.A.コッラデッテイG.シミオナートに師事。最年少18歳でアレッサンドリア国際声楽コンクール優勝、その後、パヴァロッティ国際声楽コンクール、ベッリーニ国際声楽コンクール、そして声楽コンクールの世界最難関と言われるヴェルディ国際声楽コンクールで優勝。7つもの国際声楽コンクールで全て優勝という快挙を果たす。イタリアをはじめヨーロッパ各地の歌劇場に数々のオペラに主役で出演し、パヴァロッティ、レオ・ヌッチ、アラーニャらと共演する。彼女の歌の特質は何と言っても比類なき歌唱技術である。天性の声はただ明るく美しいだけでなくその上、暗く音色をたたえており、まさにベルカント唱法の真髄を究めたイタリアでもトップの実力を持つソプラノである。
2013年より日本でのコンサート活動を本格的に開始。2013年には福岡と北九州でのチャリティーコンサート、2014年には東京・紀尾井ホールでのコンサート開催、2015年には国際ソロプチミスト福岡―南のチャリティーコンサート、2016年には東京でのオペラ『椿姫』に「ヴィオレッタ」役で出演、また2016年、2017年と東京・紀尾井ホールでのコンサートなどコンスタントに活動を続けている。その他、日韓合作映画『ザ・テノールー真実の物語』(2014年公開)では名メゾ・ソプラノ歌手・フィオレンツァ・コッソット役で出演し劇中劇ではメゾ・ソプラノの歌唱をも披露し、類いまれなる実力を披露。現在、東京を拠点に、プライベートレッスン、マスタークラスでの個人指導、ならびに平成音楽大学客員教授として、後進の指導にあたっている。
1960年ドイツ生まれ。テノール歌手。デトモルト国立音楽大学にてヘルムート・クレッチマー教授に師事。20歳で モーツァルト作曲のオペラ「魔笛」タミーノ役でデビュー し、1985年よりシュトゥットガルト国立歌劇場専属歌手として 活躍しながら、27歳でウィーン国立歌劇場、28歳で米メトロポリタン歌劇場に出演を果たし、ドイツで「オペラ界の星」と評された。J.レヴァイン、D.バレンボイム、G.ショルティ、C.アバ ド、N.アーノンクール、C.ホグウッドや、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演した数多くの CDがある。1985年よりエリザベート・シュヴァルツコップに 師事。オーストリアのシューベルティアーデ音楽祭に毎年出演し、リート歌手としての名声を不動のものに。代表的なものにJ.レヴァインのピアノ伴奏によるシューベルト作曲「美しき水車小屋の娘」がある。ソプラノの中村智子との結婚を機に日本に移住。沖縄県立芸術大教授、鹿児島国際大教授を経て洗足学園音楽大客員教授。指揮者として活動の幅を広げている。
東京藝術大学卒業、同大学院修了。
イタリア政府給費、ロータリー財団奨学生として、イタリアのG.ニコリーニ国立音楽院に留学。イタリア スポレート歌劇場、及び新国立劇場にてヴェルディの処女作《オベルト サン・ボニファーチォ伯爵》リッカルド(日本初演)を好演、両国での公演成功に貢献した。
そのほかオペラでは《ポッペアの戴冠》ネローネ、《秘密の結婚》パオリーノ、《ニーナ》リンドーロ、《偽りの女庭師》ポデスタ、《後宮からの逃走》べルモンテ、《コシ・ファン・トゥッテ》フェランド、《魔笛》タミーノ、《愛の妙薬》ネモリーノ、《ランメルモールのルチア》エドガルド、《椿姫》アルフレード、《リゴレット》マントヴァ公爵、《ラ・ボエーム》ロドルフォ、《カルメン》ホセ、《アラベッラ》マッテオ、《曾根崎心中》徳兵衛、《火の鳥》ヤマト・オグナ等のオペラに出演。
また宗教曲では、ヘンデル『メサイア』、ハイドン『ネルソン・ミサ』『四季』『天地創造』、モーツァルト『レクイエム』、ベートーヴェン『第九』、メンデルスゾーン『賛歌』『エリア』、ドヴォルジャーク『スターバト・マーテル』、ヴェルディ『レクイエム』、マーラー『大地の歌』等のソリストとして東京フィル、東京交響楽団の他、海外オーケストラとの共演など数多くの演奏会に出演。近年、ベートーヴェン『遥かなる恋人に』、シューベルト『水車小屋の娘』『白鳥の歌』、シューマン『詩人の恋』を小林道夫氏のピアノでドイツ・リートリサイタルを行った。
コロナ渦の中、大規模リモートにより開催された、サントリー「一万人の第九」(佐渡裕指揮・大阪城ホール)には2020、2021と2年連続してテノールソリストで出演。
またテレビCM録音「ネスカフェ・カプッチーノ」を歌うなど幅広い演奏活動を行っている。
大分県立芸術文化短期大学教授、尚美学園大学大学院兼任講師。東京二期会、東京室内歌劇場各会員。大分二期会理事長。
香川県出身。東京芸術大学卒業。同大学院修了。現在大阪芸術大学教授。
国内外の主要オーケストラをはじめ、世界的コンダクター チョン・ミョンフンや世界的テノール歌手ホセ・カレーラスなどと共演。さらにジャンルを超えてジプシー・キングス等のポップス系アーティスト、バレエ・ダンサーのファルフ・ルジマトフ、熊川哲也、フィギュアスケートの荒川静香らとも共演している。
作曲家としてもジャンルを超えた音楽作りに才能を発揮。TVやCM等、映像音楽の作曲も手がける。フィギュアスケート世界選手権でアメリカのミシェル・クワン選手が「レッド・ヴァイオリン」を使用して優勝、羽生結弦選手や国内外の選手にも楽曲が数多く使用されている。
舞台においても独自の表現世界を持ち、2016年より音楽と台詞で演じる舞台をスタート。
舞台芸術と一体化した演奏パフォーマンスを確立し、これまでに「源氏物語」や三島由紀夫原作「純白の夜」、「桜」(細川ガラシャ)など、新しい音楽舞台を作り出している。
オリジナルアルバム「レッド・ヴァイオリン」「オーロラ」「LUNA」等は、クラシック界で異例の発売記録を更新。
2008年にはニューヨークのカーネギーホール公演で、アメリカデビューを果たした。2010年には映画「トロッコ」で初の映画音楽を担当し、翌年の大阪アジアン映画祭で音楽賞を受賞。また、ファルフ・ルジマトフ氏との舞台「COLD SLEEP」は東映より初の音楽舞台映画として映画化された。同年イスタンブールにてピアニスト、ファジル・サイとのリサイタル、そして、神戸とロンドン・ロイヤル・アルバートホールにてホセ・カレーラスと共演。
2012年、映画「北のカナリアたち」の音楽を担当し、第36回日本アカデミー賞で最優秀音楽賞を受賞。フェルメール・リ・クリエイト展のテーマ曲も手がけた。
2015年はパリ・オペラ座にて単独公演、2019年3月、ワシントンD.C.で行われた全米さくら祭りに出演、『川井郁子コンサート〜The Tale of Genji』を上演し好評を博すなど、国内外問わず精力的に活動している。
2020年1月にDVD「LUNA」を発売。5月にアルバムデビュー20周年を迎える。社会的活動として「川井郁子 Mother Hand 基金」を設立。
全日本社寺観光連盟親善大使を務める。
使用楽器:ストラディヴァリウス(1715年製作、大阪芸術大学所蔵)
2022年にデビュー47周年を迎え、人気・実力ともに日本を代表するヴァイオリニスト。華のあるステージ、深く温かい演奏で聴衆に感動と喜びを届けており「歌うヴァイオリン」と評される。東京藝術大学、同大学院博士課程修了。在学中よりソロ活動を始め、ウィーン、ローマ、ケルン、ベルリンなどでのリサイタル、トロント音楽祭、ザルツブルグ市などに招待され好評を得る。N響、スロヴァキアフィル、シュトゥットガルト室内楽団など国内外の著名なオーケストラとも多数共演。また、1公演で4曲のヴァイオリンコンチェルトを1日2公演行うという前代未聞の快挙を達成し話題となった。2017年はウィーンのムジークフェラインでリサイタルを開催。夏にはロシアの名門モスクワ・フィルの日本ツアーにソリストとして出演し絶賛を博した。キーウ(キエフ)国立フィルとは2017年以降毎年招聘され、2023年にも共演を予定。また、2019年5月に実力派ピアニスト、イタマール・ゴランと全国ツアー(12都市)を開催。最新CDはイタマール・ゴランとのフランスのエスプリ薫る珠玉の名曲集。CDは他に、ベストセラー「椿姫ファンタジー」(SONY)や、ベルリンでの録音による「R.シュトラウス/ベートーヴェン・ソナタ№5(ピアノ: イタマール・ゴラン)」(SONY)も評価が高い。その他多数リリース。 著書に「ヴァイオリニスト 今日も走る!」(KADOKAWA)がある。BSテレビ東京(毎週土曜朝8時より放送)「おんがく交差点」では春風亭小朝と司会・演奏を務め、八面六臂の活躍をしている。
文化庁「芸術祭大賞」受賞。東京音楽大学教授。東京藝術大学客員教授。(公財)練馬区文化振興協会理事長。川崎市市民文化大使。高知県観光特使。(公財)日本交響楽振興財団理事。(公社)日本演奏連盟理事。
使用楽器はピエトロ・グァルネリ(1708年製)。
平成音楽大学 学長・教授
作曲家。指揮者。ウィーン国立音楽大学作曲科卒業。ウィーン市立音楽院指揮科修了。作曲を高田三郎、E. ウルバンナー、指揮をG. ロジェストヴェンスキー、P. シュヴァルツ、合唱指揮をG.トイリング、トランペットを北村源三の各氏に師事。ニューヨーク・カーネギーホール、ヨーロッパ、アジア等、国内外で活躍。作品はオペラ「細川ガラシア」「おてものバッテン嫁入り」「南風(はえ)吹けば楠若葉(くすわかば)」をはじめ、現代音楽、ピアノ協奏曲、式典音楽(国体・全国高校総体等)、放送音楽、ポップス、童謡、NHK「みんなのうた」、「おもいで宝箱」(島津亜矢・テイチク)まで作品は幅広い。合唱曲集「コーラス ラララ」(カワイ出版)や小学校教科書「どんなゆめ」(教育出版)等、多数出版。
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団や九州交響楽団等を指揮。米国・モンタナ州ボーズマン市「名誉市民章」、「くまもと県民文化賞・特別賞」「熊本県文化懇話会賞」等受賞。2013 年3 月、ウィーン楽友協会大ホールで「ファゴット協奏曲」(独奏・馬込勇)が演奏。『交響詩曲「伊東マンショ~時を超える祈り~」』が2017 年3 月、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ教会(イタリア・ローマ)にて世界初演。9月にはカワイ出版より混声合唱版の楽譜が出版され、12月に熊本と長崎で日本初演された。2017年8月、ブロックフルートとファゴットのための「日本・熊本民謡による幻想曲」がオーストリア・リンツで、第59回熊本県芸術文化祭オープニングステージ委嘱作品マリンバとオーケストラのための協奏曲「祈り」(マリンバ独奏・出田りあ、管弦楽・横浜シンフォニエッタ、指揮・山田和樹)が世界初演された。
現在、平成音楽大学学長・教授。日本作曲家協議会・日本現代音楽協会・日本童謡協会、各会員。日本音楽著作権協会正会員。全国音楽療法士養成協議会会長。九州音楽コンクール実行委員長。熊本県私立大学協会会長。熊本オペラ芸術協会会長・芸術監督。女声合唱団「平成カンマーコール」常任指揮者。NHK全国学校音楽コンクール・全国邦楽コンクール等の審査員を務める。
1973年 東京藝術大学音楽学部を卒業後、北西ドイツ・デトモルト音楽アカデミーに留学
1976年 北西ドイツ・デトモルト音楽アカデミーを卒業
1979年 同アカデミーにおいてKonzertexamen(国家ソリスト試験)を最優秀で修了
1975~1983年 デュッセルドルフ交響楽団(ラインドイツオペラ)クラリネット首席奏者
1983年 武蔵野音楽大学非常勤講師
1984年 武蔵野音楽大学専任講師
1990年 武蔵野音楽大学助教授
1999年 武蔵野音楽大学教授
2007年 武蔵野音楽大学非常勤講師
2007年 東京藝術大学音楽学部准教授
2009年 東京藝術大学音楽学部教授
1990~2007年 新日本フィルハーモニーの客演首席奏者
1988~1992年 エリザベト音楽大学非常勤講師
1992~2007年 日本大学芸術学部音楽学科非常勤講師
2018年 武蔵野音楽大学特任教授(現在に至る)
2018年 東京藝術大学名誉教授
ヨスト・ミヒャエルス氏(クラリネット・室内楽)
【演奏・研究・執筆等】
ドイツ・アメリカ・日本各地において室内楽を演奏。クラリネット協奏曲のソリストして新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会等に出演。マイスターミュージックよりCD「モーツァルト・クラリネット協奏曲」「レーガー・クラリネットソナタ」「モーツァルト・協奏交響曲」またALMレコードより「モーツァルト・レーガークラリネット五重奏曲」をリリース。
1973年 安宅賞
1972年 第41回NHK毎日音楽コンクール(現日本音楽コンクール)管楽器部門第1位入賞
1976年 フランス、コルマール国際室内楽コンクール木管トリオ部門において第2位入賞
小澤征爾音楽塾、サイトウ・キネン・オーケストラ、木曽音楽祭、倉敷音楽祭、大垣音楽祭、宮崎国際音楽祭等に参加。木曽音楽祭では、Directorを務める。
ジャパン・チェンバー・オーケストラ、マスターウインドプレイヤーズ、ザ・クラリネットアンサンブルのメンバー。
日本音楽コンクールクラリネット部門審査員、日本木管コンクールクラリネット部門審査委員長。
日本クラリネット協会会長。
神奈川県横須賀市出身。神奈川県立横須賀高等学校を経て、早稲田大学第一文学部文芸専修卒。在学中は芥川賞作家・三田誠広に師事。
全国の吹奏楽部・楽団やコンクール・コンテスト・演奏会を取材し、日本が世界に誇る吹奏楽という音楽・文化の素晴らしさを様々なメディアを通して発信し続けている。
吹奏楽関係の著書は、小説、ドキュメンタリーなど20冊以上。
ほか、記事執筆、テレビ・ラジオ出演、コンサート司会、イベントコーディネート、CD選曲、コンクール・コンテスト審査員など幅広く活動中。
吹奏楽部時代はサックス担当。ソプラノサックスとアルトサックスを所有しており、ソプラノサックスの名前「ヤマ和(お)」は元SKE48・古畑奈和が命名。
「オザワ部長」は当初、「架空の吹奏楽部の部長」という設定だったためにつけたペンネーム。
好きな吹奏楽曲は《吹奏楽のためのインヴェンション第1番》(内藤淳一)。
●愛知工業大学名電高校吹奏楽部をモデルとしたオリジナル青春小説
『空とラッパと小倉トースト』(Gakken)
1941年2月26日、東京都出身。本名は伊東 貞行(いとう さだゆき)。
1949年より日本でセゴビア奏法をマスターした唯一のギタリストといわれる[要出典]阿部保夫に弟子入りし、クラシックギターを学ぶ。
1956年、作曲家の古賀政男に弟子入りし、歌唱法を学ぶ。芸名は古賀政男が名付けたものである。古賀政男がアルゼンチンを訪問した際にギターの弾き方を直接指導してくれたギタリストのアントニオ・シノポリの「アントニオ」と、古賀政男自らの「古賀」を足して、「アントニオ古賀」とした(デビュー当時のレコード上では、全てカタカナで「アントニオ・コガ」と表記されていた)。幅広いジャンルの歌・ギターをこなしたその才能を古賀政男に認められて、1959年に日本コロムビアと専属契約を結び、同年6月に日本相互ホールにてデビューリサイタル(関係者のみの非公式開催)を開いた。同年10月にLPアルバム『フラメンコ・スタイル 古賀メロディ』で歌手デビューした。
1960年、当時の歌手の憧れのステージの一つでもあった日本劇場(通称日劇)で行われた「ラテン・フェティバル」(2月)に出演したり、当時日本でも人気の高かったラテンコーラスグループのトリオ・ロス・パンチョスの日本公演にゲスト出演したり、同じ古賀政男門下生であるレキント・ギター(英語版)の名手、鶴岡雅義とコンビを組んで活動し、ラテンのホープとしてラテン音楽や軽音楽のファンにはその名を知られていた[要出典]。1961年、サンケイホールで行われた「さよならトリオ・ロス・パンチョス」公演(1月)に特別出演。翌2月に再び日劇で第2回の「ラテン・フェスティバル」に出演した際に、ゲスト出演したトリオ・ロス・パンチョスのメンバーから贈られた「その名はフジヤマ」がヒットした。同年に発売したアルバム『ラテン・ギター・ムード』は、同年のコロムビアLPヒット賞を受賞、このアルバムをきっかけにギタリストとしても高評価を得た[要出典]。また、同年の春公開の新東宝映画『東京湾の突風野郎』に出演し、主題歌・挿入歌も担当した。
1963年11月、日比谷公会堂で行われた初のリサイタルでは、この会場では異例の長蛇の列となり、話題となった[要出典]。1964年、NHK『歌のグランド・ショー』の司会を務め、茶の間の人気者となる[要出典]。
1965年、高橋英樹主演の日活映画『拳銃野郎』に出演し、主題歌「キラー・ジョー」を唄う。ギターソロアルバム『荒城の月』がコロムビアゴールデンディスク賞を受賞し、翌1966年、ギター演奏のアルバムがコロムビアLPヒット賞を受賞。第17回NHK紅白歌合戦に歌手として初出場を果たし、『その名はフジヤマ』を歌った。
1968年、音楽の勉強のため世界を旅行して廻った。同年12月1日に日比谷公会堂でその成果を2回目のリサイタルで発表し、その精彩溢れるステージは激賞された[要出典]。
1971年、「コーヒールンバ」に医薬品の商品名を羅列した歌詞を乗せた(替え歌)コミックソング「クスリ・ルンバ」(シングル)がヒットし、「その名はフジヤマ」と並んで歌手としての代表作となっている。1982年にその続編として「クスリ・ルンバ PartII」を発売。こちらは前編とは登場する医薬品名が若干異なるほか、2番以後は日本酒の銘柄、麻雀用語の羅列となっている。
1976年、アントニオ古賀ギター歌謡学院開校[1]。また、同年2月2日放送の「徹子の部屋」第1回放送にて、ゲストの森繁久彌の歌う知床旅情のバック演奏を担当した。当時34歳。
1978年、NHK教育テレビ『ギターをひこう』の講師を務めた(番組は視聴者に好評で[要出典]、79年と83年にも再度講師を担当している)。
1979年、東京・厚生年金ホールにて芸能生活20周年記念リサイタル「オーレ! アントニオ!!」を開催した。5年後の1984年11月、NHKホールにて芸能生活25周年記念リサイタルを開き、1989年には新高輪プリンスホテル「飛天の間」にて芸能生活30周年記念パーティー開催。
1994年、芸能生活35周年コンサート「アントニオ・古賀35th ~古賀政男生誕90年によせて~」をNHKホールにて開催。
長年に亘るラテン音楽を基にしての活躍ぶりや、キューバとの国際交流における多大な貢献により、キューバ政府から文化功労賞を受け[2]、2000年にはカストロ議長と会談もしている[3]。
2008年4月からラジオ関西『〜アントニオ・古賀の元気配達便〜縁歌の王道』のレギュラーを持つ。同年12月1日、東京・港区東麻布のキューバ大使館で、キューバとの友好親善に貢献した者に対する最高の勲章「連帯大勲章」を日本の民間人として初めて授与された[4]。
2009年には芸能生活50周年を迎え、5月21日にキューバ大使館でライヴを行った。6月にデビュー50周年記念本『音霊(おとだま) —古賀メロディとともに』が出版された。また、同じ6月から、全国100ヵ所のコンサートツアーを行った。
2010年より東京国際大学人間社会学部客員教授に就任。
【学歴・学位】
大阪音楽大学作曲専攻卒業
大阪音楽大学大学院作曲研究室修了
芸術学修士
【専門分野・主な担当科目】
《専門分野》作曲、鍵盤演奏。
《主な担当科目》作曲専門科目、和声法。
【研究テーマ】
音楽ジャンルに捉われない作曲語法の確立。
電子オルガンが持つ新し い可能性について。
【研究・社会活動】
純音楽の分野では、声明や能楽の持つ精神性、音楽性に基づく作品を多く書く。 ニューヨーク州ブルックポートやローチェスタ ーなど各地で、舞踏と音楽の為の委嘱作品を発表。 ブルックポート大学講師を経る。主な作品は、室内管弦楽の為の「直面」~ひためん ~、中江俊夫、谷川俊太郎の詩による歌曲。ピアノと電子オルガンの為の「CO EXISTANCE」、ピアノ曲「False film」「心象」など。 また、ミュージカルや劇伴音楽 の作品を多く書く。 主な作品は宝塚歌劇団花組公演「邪馬台国の風」、ミュージカル 「寝屋のはちかづき」 (5年連続公演)、ミュージカル「不思議の国のアリス」、「エル マーの冒険」、歌芝居 「一寸法師」など。 明日海りおCD制作参加、大阪府寝屋川市イメージソングCD制作。
近年は、国内外に拘らず、落語・朗読・ダンス・バレエに楽曲を提供し、新しい形のコ ンサートを展開。また、それぞれの企画でプレーヤーとして参加。 ピアノ奏者、オルガンデュオHeart of notes(2003年に結成)として演奏活動し、リサイ タルを開催する。 オリジナル作品、自己の編曲作品を中心に、個性的なサウンドを生 む。 ミュージカル・オペラ・ダンスの音楽を中心とし、NHK児童劇団、琵琶湖ホール 声楽アンサンブルなど、他団体とのコラボレーションも数多い。
【教育方針】
個性を大切に。
理論と感性の接点を探る。
【所属学会・団体】
DAION電子オルガン研究会「JOINUS」代表。 関西現代音楽交流協会、茨木新作展、 日本電子キーボード音楽学会会員。 各種コンクール審査員。
愛知県名古屋市出身。青山学院大学入学と同時にフォークグループ「赤い鳥」のドラマーとしてプロ活動に入る。「グレープ」のサポートミュージシャンを経て、さだまさし氏のミュージカルプロデューサー及びアレンジャーとして活躍。79年渡米後、バークリー音楽院にてクラシック及びジャズのコンテンポラリーな作編曲技法を、ボストンコンサーバトリーにて指揮法を学ぶ。又、LAにてアルバート・ハリス氏に師事し、ハリウッドスタイルのオーケストレーションと映画の為の作曲技法を学ぶ。 帰国後、作曲家として数々の映画、テレビドラマ、アニメーション等の音楽を担当。また、2003年8月よりオーケストラ・アンサンブル金沢のポップスディレクターに就任し、指揮者としての活動も始める。最近の代表作として、東宝映画「モスラ」シリーズ、「サトラレ」、「解夏」、NHK大河ドラマ「毛利元就」、「利家とまつ」、NHKドラマ「大地の子」、「ハルとナツ」、フジテレビ「優しい時間」、純音楽的作品「交響的幻想曲 能登」、「ファンファレ・フォー・ザ・セレブレーション」、祝典序曲「輝ける勇者たち」(防衛庁・自衛隊50周年記念曲)がある。「リング~最終章~」が第20回ザ・テレビジョン ドラマアカデミー賞、劇中音楽賞受賞。2005年愛知万博の開会式の音楽監督を担当。
洗足学園音楽大学 音楽・音響デザイン学科 客員教授。
尺八奏者二代目北原篁山の長男として生まれる。
桐朋学園大学卒業後、NHK交響楽団指揮研究員となる。
秋山和慶、尾高忠明、小澤征爾、ブジャーヌ、ピーチニクの各氏に師事。
プラハの春国際コンクール第3位入賞。
インスブルック・チロル歌劇場専任指揮者、ドイツ・アーヘン市立歌劇場音楽総監督などを歴任し、プラハ、ハノーファー等の歌劇場、リンツ・ブルックナー管、北ドイツ響等世界各地の40以上のオペラハウス、オーケストラに客演。国内でもNHK交響楽団、東京交響楽団、新日本フィルをはじめ多くのオーケストラに招かれるとともに、新国立劇場、びわ湖ホール、関西二期会などのオペラ公演を指揮し高い評価を得ている。
NHK交響楽団「ショスタコーヴィチ:交響曲第11番」、東京都交響楽団「ショスタコーヴィチ:交響曲第5番」他多数のCDをリリース。グローバル音楽奨励賞、下總皖一音楽賞受賞。
現在、宮内庁式部職楽部指揮者、武蔵野音楽大学教授。埼玉県富士見市文化芸術アドバイザー。
・2008年より天皇皇后両陛下主宰の国賓を招いての宮中晩餐会、午餐会、洋楽演奏会の指揮者を務める。
・先の天皇皇后両陛下御即位における祝賀御列の儀パレードでは、自身が作曲した行進曲「令和」を指揮した。