多くの聴衆に支持される『表現者』としての
クラシック(普遍)音楽アーティストを発掘し支援します!

IBLA GRAND AWARD JAPAN

熊本マリ
- ピアニスト-

 熊本マリ Profile

東京に生まれる。5歳からピアノに親しみ、10歳で家族と共にスペインへ移り住む。

1975年よりスペイン王立マドリード音楽院でホアキン・ソリアノ氏に師事。スペイン青少年音楽コンクール優勝。1982年に奨学金を受けてジュリアード音楽院に入学し、サーシャ・ゴロニツキー氏に師事。1985年から英国王立音楽院にてC・エルトン氏に師事。また、プライベートではアンジー・エステルハージー氏に師事。英国ニューポート国際音楽コンクールに入賞。故ダイアナ妃より授与される。1986年、同音楽院卒業後、最年少でRecital-Diplomaを授与され、帰国。

1991年、スペインの作曲家フェデリコ・モンポウ(1893〜1987)のピアノ曲全集の録音を完成(世界初)。1993年、モンポウの伝記「ひそやかな音楽」を翻訳。同年、英国王立音楽院よりめざましい演奏活動に功績のあった卒業生にのみ与えられる資格ARAMを贈られる。

1994年、プラハでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団とジルベスターコンサートで共演。1996年、スペインでのジャパン・ウィークでリサイタルを開く。1998年、プラハでリサイタルを開催、及びヨセフ・スーク&スーク室内オーケストラと共演。1995年〜2006年には毎年秋にローム・リリック・セレクションとして全国ツアーを重ね、好評を博した。2000年にはNHK教育テレビ「芸術劇場」の「BSクラシック ピックアップ」の司会を務めた。

2006年、ウィーン・フィルのメンバーと共演。2009年、“クラシック音楽をもっと身近に楽しんでもらう”というコンセプトに賛同し、「100万人のクラシック」コンサート・シリーズに参加。東京都内近郊18箇所、続いて長野県内6箇所にて「Shall We Dance?」ツアーを開催。2011年には、同コンセプトの「いこか!クラシック」シリーズ関西地方全16公演に出演し、各地で好評を博した。2010年1月には、エジプトにてカイロ・オペラ・オーケストラと共演、アレクサンドリア(エジプト)、アンマン(ヨルダン)ではリサイタルを開催。軽快なトークをまじえた独自のコンサートは特に人気が高く、その活躍は日本国内にとどまらない。

2012年には、ベネズエラ、カラカスで、ベネズエラ交響楽団と共演する。
エッセイ集はショパンより「薔薇よ、語って」「音よ、輝け」「ラ・ピアニスタ〜太陽の門から」、講談社からは「人生を幸福にしてくれるピアノの話」が発売されている。CDはキングレコードより多数リリース、2006年、モンポウの作品集「静かな音楽」、2009年にはダンスをテーマにした「Shall We Dance?」、2011年にはショパン・イヤーからリスト・イヤーへの懸け橋として“愛のメッセージ”をテーマにした「鳥の歌」を発売。2012年2月には、日本各地の民謡をピアノで奏でる「日本の心、日本のメロディー〜奥村一作品集」を日本コロムビア(DENON)よりリリース。2008年4月より大阪芸術大学(演奏学科)教授に就任。2013年9月には、アルゼンチン ブエノスアイレスでリサイタルを行う。また、エステバンモルガドカルテットと共演を果たす。近年は、世界的国際ピアノコンクールの審査員なども務める。テレビ・ラジオへの出演、執筆活動など多才な活動で幅広いファンを獲得している。

2016年はデビュー30周年を迎える。神奈川県のマグカル大使に任命される。

2017年7月キングレコードから、サティとギロックのCDがリリースされる。

大阪芸術大学教授。

秦はるひ
- ピアニスト -

 秦はるひ Profile

東京芸術大学付属音楽高等学校を経て、同大学、同大学院を修了。在学中より邦人作品初演を盛んに行う。1978年、フランス パリ郊外のサン・ジェルマン・アン・レイ市におけるドビュッシー国際コンクール第一位を受賞後、ソロを中心にオーケストラとの共演、室内楽の演奏会も多く、バッハから現代作品まで幅広いレパートリーを持っている。一方、鮫島有美子、チェロの藤原真理などのCD製作に共演、演奏会では共演者としても深い信頼を得ている。教育活動も大学院卒業と同時に東京藝術大学講師となり、2013年3月まで勤め、現在も後進の指導にあたっている。門下からは国際コンクール入賞者を多数輩出している。近年では海外での活動も増え、パリ、トリノ、ソウルなどでリサイタルのほか、2006年より毎春、パリにてアンリ・バルダ氏、アンヌ・ケフェレック氏と共にマスタークラスを行って いる。CDは、ソロアルバム「バッハ頌」「細やかな記憶」「HARUHI HATA RECITAL」フォンテックがリリースされている。モスクワにおけるスクリャービン国際ピアノコンクール(モスクワ)、イル・ドゥ・フランス国際ピアノ コンクール(パリ)など国際コンクールの審査にもあたる。 井口秋子氏、安川加寿子氏、横井和子氏に師事。

オクサーナ ステパニュック
- オペラ歌手 -

 Oksana Stepanyuk  Profile

ウクライナ出身。
ウクライナ国立・チャイコフスキー音楽院声楽科、及び器楽科(バンドゥーラ専攻)を首席にて卒業。

1992年「ウクライナのキエフ若い才能」コンクール優勝を皮切りに、
98年ウクライナ民族音楽国際コンクール優勝。
イタリア・世界音楽コンクール優勝、
第6回ブルクハルト国際音楽コンクール最高位ほか、数多くの受賞歴を持つ。

2002年には前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世に招かれ演奏を披露。

11年、芸術分野におけるウクライナ功労賞を授与される。
12年には日本フィルハーモニー交響楽団(小林研一郎指揮)によるベートーヴェン「交響曲第9番〈合唱付き〉」にてソリストとして出演し絶賛を博した。
また、ヴェルディ「椿姫」、ビゼー「カルメン」など数々のオペラに出演。
東京芸術劇場や王子ホールでリサイタルを開催するほか、各地で多くの演奏活動を行っている。

現在、藤原歌劇団正団員。

秋川雅史
- オペラ歌手 -

 

 秋川雅史 Profile

1967年 愛媛県西条市に生まれる。
4歳よりバイオリンとピアノをはじめる。
後に父の指導のもとに声楽へと転向する。国立音楽大学・国立音楽大学院にて中村健氏の指導を受けた後、4年間イタリアのパルマで、デリオ・ポレンギ氏に師事。帰国後、第9のソロや数々のコンサートに出演。

1998年 カンツォーネコンクール第1位、
日本クラッシック音楽コンクール声楽部門最高位をそれぞれ受賞。 2001年 アルバム「パッシオーネ~復活の歌声」で日本コロムビアより日本人テノールとして、最年少CDデビュー。

2004年 テイチクエンタテインメント(タクミノート)へ移籍。
アルバム「ドリーム・オブ・ラブ」を発売。
JOC(日本オリンピック委員会)公式応援ソング「輝け日本」(作詞・作曲:遠藤実)の歌手として任命される。

2006年 「千の風になって」がアルバム「威風堂々」よりシングルカット。
12月31日NHK紅白歌合戦に初出場。

2007年 1月22日付けのオリコンチャートで「千の風になって」が1位を獲得。8月20日付けのランキングでミリオンセールスを記録する。
青山劇場(東京)にてリサイタルを開催。

2009年 オリジナルシングル「ねがい」をリリース。
TBS日曜劇場『本日も晴れ。異常なし~南の島 駐在所物語~』(連続ドラマ)の主題歌に起用される。

2014年 初のベストアルバムを発売。
新国立劇場オペラパレスにて上演された「カルメン」にて、オペラ全幕に初挑戦(ドン・ホセ役)。

2018年 サントリーホールでコンサートを開催。

ティツィアーナ ドゥカーティ
- オペラ歌手 -

 Tiziana Ducati Profile


イタリア・トリノ出身。 トリノ音楽院を経てミラノ・スカラ座研究生として学ぶ。 G.ファーヴァレット、I.A.コッラデッテイG.シミオナートに師事。最年少18歳でアレッサンドリア国際声楽コンクール優勝、その後、パヴァロッティ国際声楽コンクール、ベッリーニ国際声楽コンクール、そして声楽コンクールの世界最難関と言われるヴェルディ国際声楽コンクールで優勝。7つもの国際声楽コンクールで全て優勝という快挙を果たす。イタリアをはじめヨーロッパ各地の歌劇場に数々のオペラに主役で出演し、パヴァロッティ、レオ・ヌッチ、アラーニャらと共演する。彼女の歌の特質は何と言っても比類なき歌唱技術である。天性の声はただ明るく美しいだけでなくその上、暗く音色をたたえており、まさにベルカント唱法の真髄を究めたイタリアでもトップの実力を持つソプラノである。
2013年より日本でのコンサート活動を本格的に開始。2013年には福岡と北九州でのチャリティーコンサート、2014年には東京・紀尾井ホールでのコンサート開催、2015年には国際ソロプチミスト福岡―南のチャリティーコンサート、2016年には東京でのオペラ『椿姫』に「ヴィオレッタ」役で出演、また2016年、2017年と東京・紀尾井ホールでのコンサートなどコンスタントに活動を続けている。その他、日韓合作映画『ザ・テノールー真実の物語』(2014年公開)では名メゾ・ソプラノ歌手・フィオレンツァ・コッソット役で出演し劇中劇ではメゾ・ソプラノの歌唱をも披露し、類いまれなる実力を披露。現在、東京を拠点に、プライベートレッスン、マスタークラスでの個人指導、ならびに平成音楽大学客員教授として、後進の指導にあたっている。


川井郁子
- ヴァイオリニスト・作曲家-

© Shintaro Shiratori, Sony Music Labels,Inc

 川井郁子 Profile

香川県出身。東京芸術大学卒業。同大学院修了。現在大阪芸術大学教授。

国内外の主要オーケストラをはじめ、世界的コンダクター チョン・ミョンフンや世界的テノール歌手ホセ・カレーラスなどと共演。さらにジャンルを超えてジプシー・キングス等のポップス系アーティスト、バレエ・ダンサーのファルフ・ルジマトフ、熊川哲也、フィギュアスケートの荒川静香らとも共演している。

作曲家としてもジャンルを超えた音楽作りに才能を発揮。TVやCM等、映像音楽の作曲も手がける。フィギュアスケート世界選手権でアメリカのミシェル・クワン選手が「レッド・ヴァイオリン」を使用して優勝、羽生結弦選手や国内外の選手にも楽曲が数多く使用されている。

舞台においても独自の表現世界を持ち、2016年より音楽と台詞で演じる舞台をスタート。

舞台芸術と一体化した演奏パフォーマンスを確立し、これまでに「源氏物語」や三島由紀夫原作「純白の夜」、「桜」(細川ガラシャ)など、新しい音楽舞台を作り出している。

オリジナルアルバム「レッド・ヴァイオリン」「オーロラ」「LUNA」等は、クラシック界で異例の発売記録を更新。

2008年にはニューヨークのカーネギーホール公演で、アメリカデビューを果たした。2010年には映画「トロッコ」で初の映画音楽を担当し、翌年の大阪アジアン映画祭で音楽賞を受賞。また、ファルフ・ルジマトフ氏との舞台「COLD SLEEP」は東映より初の音楽舞台映画として映画化された。同年イスタンブールにてピアニスト、ファジル・サイとのリサイタル、そして、神戸とロンドン・ロイヤル・アルバートホールにてホセ・カレーラスと共演。

2012年、映画「北のカナリアたち」の音楽を担当し、第36回日本アカデミー賞で最優秀音楽賞を受賞。フェルメール・リ・クリエイト展のテーマ曲も手がけた。

2015年はパリ・オペラ座にて単独公演、2019年3月、ワシントンD.C.で行われた全米さくら祭りに出演、『川井郁子コンサート〜The Tale of Genji』を上演し好評を博すなど、国内外問わず精力的に活動している。

2020年1月にDVD「LUNA」を発売。5月にアルバムデビュー20周年を迎える。社会的活動として「川井郁子 Mother Hand 基金」を設立。

全日本社寺観光連盟親善大使を務める。

使用楽器:ストラディヴァリウス(1715年製作、大阪芸術大学所蔵)

大谷康子
- ヴァイオリニスト -

 大谷康子  Profile

2022年にデビュー47周年を迎え、人気・実力ともに日本を代表するヴァイオリニスト。華のあるステージ、深く温かい演奏で聴衆に感動と喜びを届けており「歌うヴァイオリン」と評される。東京藝術大学、同大学院博士課程修了。在学中よりソロ活動を始め、ウィーン、ローマ、ケルン、ベルリンなどでのリサイタル、トロント音楽祭、ザルツブルグ市などに招待され好評を得る。N響、スロヴァキアフィル、シュトゥットガルト室内楽団など国内外の著名なオーケストラとも多数共演。また、1公演で4曲のヴァイオリンコンチェルトを1日2公演行うという前代未聞の快挙を達成し話題となった。2017年はウィーンのムジークフェラインでリサイタルを開催。夏にはロシアの名門モスクワ・フィルの日本ツアーにソリストとして出演し絶賛を博した。キーウ(キエフ)国立フィルとは2017年以降毎年招聘され、2023年にも共演を予定。また、2019年5月に実力派ピアニスト、イタマール・ゴランと全国ツアー(12都市)を開催。最新CDはイタマール・ゴランとのフランスのエスプリ薫る珠玉の名曲集。CDは他に、ベストセラー「椿姫ファンタジー」(SONY)や、ベルリンでの録音による「R.シュトラウス/ベートーヴェン・ソナタ№5(ピアノ: イタマール・ゴラン)」(SONY)も評価が高い。その他多数リリース。 著書に「ヴァイオリニスト 今日も走る!」(KADOKAWA)がある。BSテレビ東京(毎週土曜朝8時より放送)「おんがく交差点」では春風亭小朝と司会・演奏を務め、八面六臂の活躍をしている。
文化庁「芸術祭大賞」受賞。東京音楽大学教授。東京藝術大学客員教授。(公財)練馬区文化振興協会理事長。川崎市市民文化大使。高知県観光特使。(公財)日本交響楽振興財団理事。(公社)日本演奏連盟理事。
使用楽器はピエトロ・グァルネリ(1708年製)。

出田敬三
- 作曲家・指揮者 -

 出田敬三  Profile

平成音楽大学学長・教授 

 作曲家。指揮者。ウィーン国立音楽大学作曲科卒業。ウィーン市立音楽院指揮科修了。作曲を高田三郎、E. ウルバンナー、指揮をG. ロジェストヴェンスキー、P. シュヴァルツ、合唱指揮をG.トイリング、トランペットを北村源三の各氏に師事。ニューヨーク・カーネギーホール、ヨーロッパ、アジア等、国内外で活躍。作品はオペラ「細川ガラシア」「おてものバッテン嫁入り」「南風(はえ)吹けば楠若葉(くすわかば)」をはじめ、現代音楽、ピアノ協奏曲、式典音楽(国体・全国高校総体等)、放送音楽、ポップス、童謡、NHK「みんなのうた」、「おもいで宝箱」(島津亜矢・テイチク)まで作品は幅広い。合唱曲集「コーラス ラララ」(カワイ出版)や小学校教科書「どんなゆめ」(教育出版)等、多数出版。

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団や九州交響楽団等を指揮。米国・モンタナ州ボーズマン市「名誉市民章」、「くまもと県民文化賞・特別賞」「熊本県文化懇話会賞」等受賞。2013 年3 月、ウィーン楽友協会大ホールで「ファゴット協奏曲」(独奏・馬込勇)が演奏。『交響詩曲「伊東マンショ~時を超える祈り~」』が2017 年3 月、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ教会(イタリア・ローマ)にて世界初演。9月にはカワイ出版より混声合唱版の楽譜が出版され、12月に熊本と長崎で日本初演された。2017年8月、ブロックフルートとファゴットのための「日本・熊本民謡による幻想曲」がオーストリア・リンツで、第59回熊本県芸術文化祭オープニングステージ委嘱作品マリンバとオーケストラのための協奏曲「祈り」(マリンバ独奏・出田りあ、管弦楽・横浜シンフォニエッタ、指揮・山田和樹)が世界初演された。
現在、平成音楽大学学長・教授。日本作曲家協議会・日本現代音楽協会・日本童謡協会、各会員。日本音楽著作権協会正会員。全国音楽療法士養成協議会会長。九州音楽コンクール実行委員長。熊本県私立大学協会会長。熊本オペラ芸術協会会長・芸術監督。女声合唱団「平成カンマーコール」常任指揮者。NHK全国学校音楽コンクール・全国邦楽コンクール等の審査員を務める。 

杉木峯夫
- トランペット奏者-

 杉木峯夫 Profile

1945年富山市生まれ。
東京藝術大学音楽学部器楽科でトランペットを中山富士雄に学び、卒業後の1970年仏政府給費生としてバリ国立高等音楽院に入学。モーリス・アンドレのクラスに入り、72年一等賞を得て卒業。リヨン国立管弦楽団を経て75年札幌交響楽団に入団。

札幌ブラス・アンサンブルとしても活動の傍ら、北海道教育大学札幌分校非常勤講師を務め、86年東京藝術大学音楽学部助教授となり、2002年教授、09年から同大演奏藝術センター長を兼任。2012年3月に退任し、4月1日より名誉教授。

学生時代から在京オーケストラと共演し、フランスではベルナール・トマ室内管弦楽団、バリ・コンセール・コロンヌ管弦楽団などで演奏。「モーリス・アンドレと弟子達」によるレコーディング(エラート)にも参加した。
東京藝大着任後も、水戸室内管弦楽団、サイトウーキネン・オーケストラ、紀尾井シンフォニエッタ東京などで演奏する一方、国内はもとよりパリや北京でもリサイタルを行う。
モーリス・アンドレ国際トランペット・コンクールなどのコンクールの審査員を務める。
1987年「とやま賞」受賞。モーリス・アンドレが仏楽器メーカーと開発したピッコロ・トランペットを日本で初めて導入した。

現在、東京藝術大学名誉教授、平成音楽大学客員教授、紀尾井シンフォニエッタ東京アドバイザー、PMF評議員、日本ソルフェージュ研究協議会理事、日本トランペット協会理事長、札幌トランペット協会名誉顧問、くらしき作陽大学非常勤講師、コンセルヴァトワール尚美ディプロマ非常勤講師、オホーツク紋別セミナーディレクター講師、東京藝術大学芸術する脳を考える会代表など。

アントニオ古賀
- ギタリスト -

 アントニオ古賀 Profile

1941年2月26日東京都出身。本名は伊東 貞行(いとう さだゆき)。

1949年より日本でセゴビア奏法をマスターした唯一のギタリストといわれる[要出典]阿部保夫に弟子入りし、クラシックギターを学ぶ。

1956年、作曲家の古賀政男に弟子入りし、歌唱法を学ぶ。芸名は古賀政男が名付けたものである。古賀政男がアルゼンチンを訪問した際にギターの弾き方を直接指導してくれたギタリストのアントニオ・シノポリの「アントニオ」と、古賀政男自らの「古賀」を足して、「アントニオ古賀」とした(デビュー当時のレコード上では、全てカタカナで「アントニオ・コガ」と表記されていた)。幅広いジャンルの歌・ギターをこなしたその才能を古賀政男に認められて、1959年日本コロムビアと専属契約を結び、同年6月に日本相互ホールにてデビューリサイタル(関係者のみの非公式開催)を開いた。同年10月にLPアルバム『フラメンコ・スタイル 古賀メロディ』で歌手デビューした。

1960年、当時の歌手の憧れのステージの一つでもあった日本劇場(通称日劇)で行われた「ラテン・フェティバル」(2月)に出演したり、当時日本でも人気の高かったラテンコーラスグループのトリオ・ロス・パンチョスの日本公演にゲスト出演したり、同じ古賀政男門下生であるレキント・ギター英語版)の名手、鶴岡雅義とコンビを組んで活動し、ラテンのホープとしてラテン音楽や軽音楽のファンにはその名を知られていた[要出典]。1961年、サンケイホールで行われた「さよならトリオ・ロス・パンチョス」公演(1月)に特別出演。翌2月に再び日劇で第2回の「ラテン・フェスティバル」に出演した際に、ゲスト出演したトリオ・ロス・パンチョスのメンバーから贈られた「その名はフジヤマ」がヒットした。同年に発売したアルバム『ラテン・ギター・ムード』は、同年のコロムビアLPヒット賞を受賞、このアルバムをきっかけにギタリストとしても高評価を得た[要出典]。また、同年の春公開の新東宝映画『東京湾の突風野郎』に出演し、主題歌挿入歌も担当した。

1963年11月、日比谷公会堂で行われた初のリサイタルでは、この会場では異例の長蛇の列となり、話題となった[要出典]1964年、NHK『歌のグランド・ショー』の司会を務め、茶の間の人気者となる[要出典]

1965年高橋英樹主演の日活映画『拳銃野郎』に出演し、主題歌「キラー・ジョー」を唄う。ギターソロアルバム『荒城の月』がコロムビアゴールデンディスク賞を受賞し、翌1966年、ギター演奏のアルバムがコロムビアLPヒット賞を受賞。第17回NHK紅白歌合戦に歌手として初出場を果たし、『その名はフジヤマ』を歌った。

1968年、音楽の勉強のため世界を旅行して廻った。同年12月1日に日比谷公会堂でその成果を2回目のリサイタルで発表し、その精彩溢れるステージは激賞された[要出典]

1971年、「コーヒールンバ」に医薬品の商品名を羅列した歌詞を乗せた(替え歌コミックソング「クスリ・ルンバ」(シングル)がヒットし、「その名はフジヤマ」と並んで歌手としての代表作となっている。1982年にその続編として「クスリ・ルンバ PartII」を発売。こちらは前編とは登場する医薬品名が若干異なるほか、2番以後は日本酒銘柄麻雀用語の羅列となっている。

1976年、アントニオ古賀ギター歌謡学院開校[1]。また、同年2月2日放送の「徹子の部屋」第1回放送にて、ゲストの森繁久彌の歌う知床旅情のバック演奏を担当した。当時34歳。

1978年NHK教育テレビギターをひこう』の講師を務めた(番組は視聴者に好評で[要出典]、79年と83年にも再度講師を担当している)。

1979年、東京・厚生年金ホールにて芸能生活20周年記念リサイタル「オーレ! アントニオ!!」を開催した。5年後の1984年11月、NHKホールにて芸能生活25周年記念リサイタルを開き、1989年には新高輪プリンスホテル「飛天の間」にて芸能生活30周年記念パーティー開催。

1994年、芸能生活35周年コンサート「アントニオ・古賀35th ~古賀政男生誕90年によせて~」をNHKホールにて開催。

長年に亘るラテン音楽を基にしての活躍ぶりや、キューバとの国際交流における多大な貢献により、キューバ政府から文化功労賞を受け[2]2000年にはカストロ議長と会談もしている[3]

2008年4月からラジオ関西『〜アントニオ・古賀の元気配達便〜縁歌の王道』のレギュラーを持つ。同年12月1日、東京・港区東麻布キューバ大使館で、キューバとの友好親善に貢献した者に対する最高の勲章「連帯大勲章」を日本の民間人として初めて授与された[4]

2009年には芸能生活50周年を迎え、5月21日にキューバ大使館でライヴを行った。6月にデビュー50周年記念本『音霊(おとだま) —古賀メロディとともに』が出版された。また、同じ6月から、全国100ヵ所のコンサートツアーを行った。

2010年より東京国際大学人間社会学部客員教授に就任。

2017年にプロテスタント信徒となっており、キリスト教系団体が主催する音楽イベントへの出演も見られる[5]